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【社員インタビュー】介護ができるという選択肢。それがあったからこそ得られた、父との“幸せ”な時間

エイチームには、社員の多様な働き方を応援する「ファミリーサポート制度」があります。育児や介護をする社員の働く時間の選択肢の拡大、特別休暇の付与などの支援を行っています。

今回は、「介護支援制度」を利用し、お父様の介護を経験した植田さんにインタビューしました。壮絶な介護の経験を通じて、植田さんが得た新たな価値観とは。お話を伺いました。

エイチームフィナジー デザイン開発部 シニアデザイナー 植田 一貴さん
大学を卒業後、友人と映像制作会社を立ち上げる。カメラマンとしてキャリアをスタート。その後、ウェブデザインにも携わるようになる。2017年、エイチーム大阪オフィスの開所メンバーとして入社し、金融メディア事業のデザインに従事。現在は『ナビナビ保険』のデザインシステムの制作をメインで担当しながら、シニアデザイナーとして専門的な領域でリーダーシップを発揮している。

父を看取ろうと決意したきっかけ

母の介護を、父と妹に任せっきりに

忘れもしません。その日は、16年前のクリスマスイブのことでした。父親から「早く帰ってこい」と連絡が入ったんです。帰宅すると、診断の結果、母にがんが見つかり、しかもステージ4であること、そして余命半年であることを伝えられました。当時、私は起業1年目でしたし、ちょうど仕事も忙しくなってきて休みも取れない時期でした。そんな状況だったこともあり、母の介護を父と妹に任せてしまいました・・・。

両親としては、きっと私に起業という道ではなく、就職してほしかったはずです。それに対して、私は「やらせてくれ」と起業をしました。そんな経緯もあったので、意固地になって仕事に向かっていたところもあります。また、単純に日に日に弱っていく母を見ること自体が辛かったんです。病院へ行くこともなかなかできませんでした。

24歳の時、母親が亡くなる

自分一人であれば、仕事を辞めて母を介護していたかもしれません。でも、当時は4人の仲間と一緒に会社を経営していたんです。自分が抜けると周りに迷惑がかかるとわかっていたので、仲間に言い出しにくいこともありました。

母も「仕事を優先しなさい」と言ってくれるような人でした。その言葉に甘えた部分もあったと思います。父と妹に任せてしまった結果、母と満足に話をすることもできず・・・母は亡くなりました。それが凄く心残りでした。そんな後悔もあって、もし父が同じような状況になったら、しっかり看取ろうと心に決めていたんです。

一昨年、一人暮らしの父にがんがみつかる

肋骨の中に30センチの腫瘍

母が亡くなって以来、父はずっと一人暮らしでした。実家は兵庫県宝塚市でしたが、私は大阪、妹は岐阜で生活をしていました。一昨年、父にがんが見つかったとき、私も妹もそばにいない状況でした。その当時、父から「調子が悪い」という話は何度か聞いていました。私からは「病院に行くように」と伝えていたのですが、ちょうどコロナの感染が拡大している時期で、父が警戒をして病院に行こうとしなかったんです。ようやく病院へ行き、レントゲンを撮ったら、肋骨の中に30センチの腫瘍が見つかりました。

医者の言葉を聞き、介護することを覚悟

普通の手術では摘出が難しいと言われました。10年でも10例ないくらいの珍しい症例で、大学病院で手術を受ける必要があることがわかりました。ショックでした。落ち込みました。自分がもっと早く病院に連れて行けば・・・と悔やみました。無事、手術は成功しましたが、大きな腫瘍だったので「転移がないことはほぼない」と先生に言われました。この時に介護することを覚悟しました。

実家に通い、治療の付き添いを開始

フレックスタイム制や在宅勤務を活用し、父の面倒を見る

術後3ヵ月は父の体力も戻り、元の生活に戻っていきました。私も大阪で仕事をしながら、月に1回様子を見に行くような状況でした。当時はコロナの影響でリモートワークが一般的になっており、それに随分と助けられたように思います。午前中に仕事をして午後から病院へ行くといった働き方や、上長に相談して実家で仕事をさせてもらったりなど、柔軟な働き方で仕事をすることができました。

がんが再発、抗がん剤治療が始まる

手術から一年後、がんが再発しました。再び手術するのが難しかったため、月1回の抗がん剤治療を始めることになり、誰かが付き添わなければならない状況になりました。抗がん剤治療は半日~1日の時間を要します。妹は遠方にいたので対応が難しく、私が付き添うことになりました。

父の症例に効果がある抗がん剤は3種類しかありませんでした。その中で一番効くものから試すことになりましたが、一番効果がある薬を使うと副作用で動くのも大変になり、私が父に代わり実家の家事を行うこともありました。しかし、先生から「動かないと体が弱くなっていく。できるだけ家事をやってもらったほうがいい」とアドバイスを受け、父にも頑張ってもらうようにしました。そのようなサポートが一年くらい続きました。

病状が悪化。いよいよ、本格的な介護がスタート

私と妹が下した決断

抗がん剤治療を始めて一年くらい経過した頃、化学治療を行えないほど父の体は衰弱していました。緩和ケア病棟に入るか。家で介護をするのか。いずれかを選択をすべき局面を迎えました。父は「家に帰りたい」と言いましたが、その時の父は正常な判断が難しい状況にありました。でも、正常な判断ができないとはいえ、父の「帰りたい」は本音に違いない。一方、病院にいたら治療を受けられる。どちらを選択すべきか悩みましたが、悩んだ末に私と妹で「自分たちがどうしたいかじゃないか」という話になりました。そして「よし、介護を頑張ろう」と決断したんです。

できるだけ楽に過ごしてほしい

岐阜に住んでいた妹が宝塚の実家に戻ってくれました。私も住み込んで交代で介護を行いました。母を亡くした時に「父はしっかり看取ろう」と決めていました。また、母を亡くした経験があったせいか「死が訪れるのは仕方がないこと」という考えもありました。父には、残りの人生をできるだけ楽に過ごしてほしい。そのために段取り良くやらなきゃならない。そのような想いを胸に、本格的な介護をスタートさせました。

エイチームだからこそ、家族に寄り添い、介護ができた

介護休暇制度をフル活用

抗がん剤治療中は在宅勤務で働きながら父の面倒を見ていましたが、その間、エイチームの仲間が仕事のサポートをしてくれました。また、医師や看護師による訪問診療、ヘルパー、介護保険の準備など万全に体制を整えたうえで介護をスタートさせられたことも、フレキシブルな働き方を支援してくれた会社のおかげだと思います。

本格的な介護が始まってからも、エイチームの介護支援制度をフル活用。最初は午前中だけでも働こうと考えていましたが、いざ介護が始まると睡眠時間が2時間あるかないかという状況に。介護休暇に加え、有給休暇も取得しながら父の介護にあたりました。

父の理解と介護制度への感謝

父には「取得できる休日がなくなったら、緩和ケア病棟に入ってもらうよ」と伝えていました。父もどちらかと言うと仕事人間だったので、「それはしょうがない」とわかってくれました。そして「俺の時代はそんな働き方はできなかった」とも言っていました。それを聞いて、介護休暇をもらえることは恵まれていることを痛感し、このような環境をつくってもらえることに大いに感謝しました。

会社の仲間には自分の事情を率直に開示

手術が決まった際にチームのメンバーには事情を伝えました。例えば、タイトなスケジュールの案件を私が受けてしまうと、事業に影響が出るようなことも起こり得ます。そのような仕事を受けてみんなに迷惑をかけたくありませんでした。また、実家でミーティングに参加している時に父に呼ばれるようなこともあり得ます。みんなが事情をわかっていないと誤解されることもあるだろうと考えました。

プライベートなことはなかなか言いづらいですが、迷惑をかけないためにもチームのみんなには情報を共有するようにしました。休みをもらうのであれば、それ相応の情報開示をしないといけないとも考えていました。私自身「父を看取ろう」と決めていたので、もし会社から「仕事優先」と言われたとしても父の介護を優先するつもりでした。でも、エイチームにはそのような判断はなく、むしろ「家族優先」と言ってくれました。サポートしてもらった分は後でしっかり返すつもりで、言葉に甘えさせてもらいました。

共に働くメンバーの理解とサポート

みんなも私のことを理解してくれて、「わかりました、任せてください」とサポートをしてくれました。実際は大変だったと思います。でも、大変そうな様子は一切見せずに、サポートしてくれました。私がどうしたいのか、どうしたら私が困らないかを第一に考えて動いてくれたんです。制度だけではなく、同僚のありがたさを切に感じました。

介護期間中の働き方で意識したこと

やりたい仕事がやれない悔しさ

会社や仲間の全面的なバックアップはありましたが、それでも辛いと感じたことはあります。父の面倒を見るようになってから「明日この仕事はできるのだろうか。父に呼ばれるかもしれない。このタスクは自分がやるべきなのだろうか」と考える機会が増えました。

そして、そのために自分がやりたい仕事がやれなかったことが辛かったです。本当はやりたいのに自分がやると迷惑になる・・・悔しかったです。でも、チームのメンバーにできるだけ迷惑をかけないように自分が努力することが、休みをいただける条件の一つだと思っていました。だから、悔しいけど受け入れるしかない、と。自分が担当しないほうがいいと思ったタスクは、その旨を自分から伝えるようにしていました。

人に任せる、頼ることの大切さ

私の所属チームは各々が高い専門性を持った、いわば少数精鋭のチーム。故に属人化している部分もあったと思います。そんな中で私が不在になってもチームが困らない状態にすることが自分の責務だと思っていました。特に意識的に取り組んだのが権限を委譲すること。実は、誰かに任せることが苦手でした。でも、どんどん渡していかないと回らない状態だったので、思い切って仕事を任せるようにしました。

任せた結果、引継ぎが上手く進みましたし、余計な仕事も減りました。私が一人減ったことによる生産性の低下はありましたが、大きな問題が起こるようなことはありませんでした。ちょうど若い人が入社したタイミングで、自分に代わって頑張ってくれたのもありがたかったです。人に任せると、その人の視座も上がっていくこともわかりました。もともと苦手だったことが、今回を機に克服できたように思います。

介護を経験して感じられた“幸せ”

精神的に疲弊した最期の1ヵ月

父が亡くなる最期の1ヵ月は本当に大変でした。父は15分に1回起きる状態。何度も呼び出されて、ちゃんと眠ることもできませんでした。私も妹も精神的にかなり疲弊していました。この選択は間違っていたのではないか、と考えることもありました。なぜか不意に涙が出てくるようなこともありました。そのくらい追い込まれていました。

それでも頑張れたのは会社のサポートがあったからです。また、ヘルパーの方にも助けられました。私たちを励ましてくれましたし、私たちの前では弱音を吐いたり厳しいことを言ったりしていた父も、ヘルパーさんには気丈に振る舞ったり気持ちが穏やかになったりすることがありました。

父との最期の会話

最期の2日間は、薬で眠ってもらうような状態になりました。そうなると会話ができなくなるので、その前日に父とじっくり話す機会を持ったんです。一緒に人生を振り返りました。

父が「お前は、最初はちゃらんぽらんでどうなるかわからなかったけど、結婚をして家も建てて・・・俺ができないこともやっている、凄いと思う。よくやっていると思う」と言ってくれました。嬉しかったです。これからも頑張らないといけないと強く思いました。

父との会話は2~3時間続きました。「この先も、今この瞬間をずっと忘れないんだろうな」と思いながら父と言葉を交わしました。そして「一週間もしたら、もう父と話すこともできないんだな・・・」とも感じながら、父との別れの時間を過ごしました。

介護をして良かったと思う理由

大変でしたけど、介護をして良かったと思っています。普通は、働きながらこれほどまで介護に時間を割くことはできないと思います。それができたのはエイチームに介護支援制度があり、社員同士お互いを尊重する風土があったからです。

父との最後の会話も平日の昼間でした。このような機会をつくろうと思っても、なかなかつくれないはずです。ちゃんと介護ができたこと。父を看取れたこと。それが叶ったのは幸せなことです。良い思い出にもなりましたし、良い経験をさせてもらったとも思います。

介護を経験したことで得た新たな価値観

長く生きたいと考えるように

母は50歳で亡くなりました。母が亡くなってから、自分が50歳で死ぬとしたらそれまでに何ができるだろう、これだけは絶対にやろうと考えるようになりました。

でも、父が亡くなってから考え方が変わったんです。70歳で亡くなった父より長生きしよう、父より長生きしないと父がかわいそうと思うようになりました。

今度は自分がサポートする番

介護支援制度を利用したことで、人に任せることができるようになりました。先ほどもお伝えしたとおり、以前は人に頼ることが苦手でした。人を信頼することは、頼った相手が失敗したらそれも受け入れることだと考えると、自分にとって難しく感じるところがあったんです。

でも、今回の経験により「任せてもみんながちゃんとやってくれる、それを自分がゆくゆく恩返ししていけばいい」と素直に思えるようになりました。介護期間中は、チームのみんなに本当に支えられました。次は自分がみんなを助ける番です。困ったことがあったら、自分に頼ってほしいと思っています。

介護ができる選択肢があることは幸せなこと

介護は大変です。「やったほうがいいよ」と気軽に勧められるものではありません。でも、もし介護をする機会が訪れた時は、「できない」と思わないでほしいです。エイチームにはやれる環境があります。

最初からあきらめる必要はありません。応援してくれる人も多いので、周りに相談しながら進めていくこともできます。「介護ができる」という選択肢があるのは幸せなことだと思います。世の中には、したくてもできない人も多いです。ぜひ悔いのない決断をしてほしいです。

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